その6 飴玉とトイレと私     清水雅子

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最近、病気を語ることが市民権を得て、一つの新しいカルチャーになってきたように思う。もっともこの場合で言うところの病気とは、いわゆる"深刻な病気ではないけれど、なんとなく誰にも言えず"、そっと自分の心に秘めてきたという類のものである。

その典型的な例が、便秘である。御下劣極まりない話しで恐縮だが、かくいう私もヘビー級のベンピャー(Benpier)だ。以前、息ができないくらいの激しい腹痛に七転八倒、脂汗をだらだら流しながら病院へ運ばれたことがあったのだが、レントゲン検査の結果、実は腸の中のブツが膨張して神経を圧迫していたということもあるくらいの、救いようのないスーパーベンピャーなのである。

それでも10年位前までは、日本にはまだ便秘であることを告白することにためらいや恥じらいを感じるというカルチャーがあった。だから便秘というと、人知れずそっと一人トイレで苦しむ、己が背負った運命の重さにそっと袖を濡らすといった奥床しく、どこか官能的なイメージがあったのだが(?)、今やそのブレイクぶりたるや実にダイナミックで、どうだと言わんばかりである。私達も、天下国家を論じるよりも便秘について語ることの方がはるかに真剣である。

それはともかく、最近さらに目を引き始めたのが、その体験談の露骨さとグロテスクさである。たとえば強烈だったのが、ある健康関連雑誌の企画だった、某マンガ家による腸内洗浄の体験記である。文字ならともかく、不幸にもそれは絵で再現されていただけに生々しいこと極まりなく、腸に通した透明なホースをいわゆるブツと、未消化のままのしめじがゆらゆらと通っていくだりは、今なおトラウマとして私の心を圧迫し、スーパーでしめじを見るだけで血圧が上がってしまう。

インパクトという点では、朝のテレビ番組で特集されていた便秘克服体験談も負けてはいない。いわゆる視聴者の投書による実例紹介なのだが、その方法たるや、心底酔いしれるものばかりだった。なかでも卒倒しそうだったのが、飴玉をお尻に入れて刺激を与える、手で直接掘る、の二つ。悲しいかな、うさんくさいと思いつつも、便秘を煩う者にとって、克服体験者が晴れ晴れと、しかも勝ち誇った顔で便秘解消法を語っている姿はまぶしい。われらベンピャーのカリスマである。

だが、そこには同じ苦しみから一足先にオサラバした仲間への羨望、祝福、共感と、あせり、妬み、苛立ち、心細さ、切なさ、そしてその現実離れした脱出方法への恨みと不信感といったエゴ丸出しの感情、怨念がドロドロと渦巻いており、「次こそは私」と夢見てはまた裏切られ、失望し、そして落胆するという歴史を繰り返すのである。まさに女の情念、石川さゆりの演歌の世界である。

だからという訳ではないが、最近、ふとスーパーに居並ぶ飴や、夫がおいしそうになめている飴がキラリと光って見える瞬間がある。そしてその飴玉は、まさに占いの水晶玉のように妖しく光りを放ち、私をアブノーマルな世界へと、甘美に誘い続けるのである。
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