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根川 幸男 その6 −ブラジリアの原型 ベロ・オリゾンテ2− |
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ベロ・オリゾンテは「新しい顔」と「古い顔」をもっている。 これに対し、ベロ・オリゾンテの「新しい顔」は、市の北西部に国際空港や大学都市の広がるパンプーリャ地区に代表される。このエリアは、私が住む街ブラジリアの原型でもある。 ブラジリアへの首都移転を計画・実行したのはジュセリーノ・クビチェック大統領(1902〜1976)であるが、この大統領はミナス・ジェライス州出身であり、かつて1940年代にベロ・オリゾンテ市長をつとめた。ベロ・オリゾンテ市長時代に開発が始まったのがパンプーリャ地区であり、このエリアの都市プランを設計したのが、後にブラジリアの国会議事堂やカテドラルをデザインすることになる若き天才建築家オスカール・ニーマイヤー(1907〜)であった。
このパンプーリャ地区には、人造湖を中心に、サンフランシスコ・デ・アシス教会(写真4・5参照)、パラシオ・デ・バイレ(劇場)、ムゼウ・デ・アルテ・ダ・パンプーリャ(パンプーリャ美術館=写真6参照)、ミネイリーニョ(多目的競技場)やミネイラン(サッカースタジアム)などのスポーツ施設(写真7参照)、大学都市、動物園などが位置している。セントロの喧騒とは打って変わった公園のように整備された街並の各所に、ブラジル近代を代表する画家であるカンジド・ポルティナリ(1903〜1962)やブルーリ・マルクス(1909〜1994)、彫刻家セチアッティ(1918-1989)、ザモイスキー、ジョゼ・ペドローザらの作品が配置されている。 40年代前半にパンプーリャ地区を開発したこのアバンギャルドな芸術家グループによって、50年代後半、大統領に就任したクビチェック主導のもと、ブラジリアが創造されたのである。内陸首都の建設は、クビチェックの故郷ミナスでのブラジル最初の反ポルトガル独立運動以来、ブラジルの歴史の中で長く理想でもあった。また、オスカール・ニーマイヤーがニューヨークの国連本部ビルを設計し、ポルティナリがそのビルに「戦争と平和」と題する壮大な壁画を描いたことからも、この新首都ブラジリアの実験が世界的なスケールと評価をもっていたことが知られる。
パンプーリャを訪れた私には、この地区のコンセプトがブラジリアの原型となっていることが容易にのみこめた。人造湖を中心とし、大学都市や商業エリアが整然と区画された都市プラン。広い道路や人通りが少ないがらんとしたスペース。道を尋ねるにも、閑散としすぎていて、人を探すのがたいへんだ。サンフランシスコ教会前で、やっと見つけたアイスクリーム売りのおじさんに美術館へ行く道を聞いたところ、「歩いては行けないよ」と湖の対岸を指差された時のうんざりした気持ちなど…この街がプリミテヴな人間的スケールからは、まだまだほど遠いことが感じられた。 ベロ・オリゾンテの「古い顔」がブラジルらしく海を向いていたのに対して、「新しい顔」は内陸と未来を志向しているといえる。新大陸に新国家を建設し、何もない大地に人間の営みと芸術を創造するアバンギャルドな精神には、幸福で健全な時代のブラジル知識人たちのフロンティア・スピリットが感じられる。しかし、ベロ・オリゾンテが「新しい顔」に収斂されることなく、今なお人間くさい「古い顔」を持ちつづけているところに、理屈では割り切れない人間の営みの複雑さを見る思いがした。 |
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