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根川 幸男 その16 ビリチーバ・ミリン−チエテ川流域の元気な日系コミュニティー− |
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お昼前のビリーチーバ・ミリン行きのバスは、朝の買い物をすませたらしい主婦たちでいっぱいだった。デジカメやインタヴュー用の機材をぱんぱんに詰めこんだディパックを抱えて、20歳そこそこの少年のような車掌に2.2レアル(1レアル=約36.3円、2004年8月3日現在)の運賃を払い、やっと一人分空いている固いプラスチックの席を見つけてこしかけた。サンパウロの友人のアパートから、地下鉄とバスで約1時間半。鉄道駅のあるモジ・ダス・クルーゼスの街外れの道路で、30分に一本のバスをつかまえたのだった。
ビリチーバ・ミリンは、サンパウロ市の東方69キロメートルに位置するチエテ川流域の小都市である。サンパウロ近郊とはいえ、市街地は小さく幹線道路からもやや離れている。市の面積は409平方キロメートルで、人口は約2万5千人。そのうち日系住民は500家族ほど。住民の多くがサンパウロ向けの果物・野菜・花卉などの栽培にたずさわる典型的な近郊農村地帯である(写真1)。 私がこの町をはじめて訪れたのは、三年前である。おせじにも観光地とは言いがたいこの町になぜ来たかというと、国際交流基金サンパウロ日本語センターの「在日経験ブラジル人帰国子女の日本語実態調査」というものにかかわったからだ。調査地の一つとして、このビリチーバ・ミリンが選ばれ、時には他のスタッフと、時には一人で、何度か足を運ぶことになった。この町が調査地に選ばれた理由は、サンパウロとは異なる産業構造を持つこと、日系住民(特に戦後移民)の多い地域であり、日本語・日本文化の影響力がまだ強く、「同化」の進むサンパウロ市内や他の調査地と異なった様相が見られたためである。 私の乗ったバスが走るサレゾポリス街道(国道88号線)沿いには、ジャルジン・ソゴー、シティオ・ヤマモトといった日系農園の標識が見える。目ざすビリーチーバ・ミリンの市街には、日系コミュニティーの草分けシゲル・タケベの名を冠した通りがあり、日系住民の影響力の強さが見て取れる。ジャガイモしか取れなかった寒村に野菜や養鶏を持ちこみ、みごとな蘭の花を咲かせた日本人たちは、当地で「農業の神様」と呼ばれたそうだ。
教会に面した広場にあるレストランで昼食を食べた後、この町の日本語学校を訪れた。在日経験のある子供たちへのインタヴューのためだ。子供たちといっても、すでに15歳から17歳になっていて、モジ・ダス・クルーゼス市内で働き始めた子もいた。いずれも、両親あるいは片親の出稼ぎについて日本に滞在し、何年か日本の小中学校での教育を受けた子供たちだ。
「おじさんのこと、覚えてる?」 簡単な日本語で質問し、答えを引き出していく。前のインタヴュー調査をしたとき17歳の高校生だった少年は、大学を休学して日本に出稼ぎに行ってしまっていた。この日インタヴューしたのはいずれも女の子だったが、四人のうち三人が18歳になったら、自分も日本へ出稼ぎに行きたいと答えた。理由は、大学へ入学するための費用を稼ぐためと言うが、それだけではないようだ。 ブラジルの失業率は深刻で、サンパウロ大都市圏では、実に20%を越える。失業率にともなう犯罪発生率の増加も深刻だ。この地域では、就業年齢になったら日本へ出稼ぎに行くというパターンが定着している。親の代からはじまった日本への出稼ぎの波が、子供たちの代に波及してきているのだ。
(2004年8月3日記) |
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