![]() 永井 風(Nagai Poo) その6 フリオは救世主 |
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私の南米の旅は、ペルー、ボリビア、パラグアイと、たった数時間のアルゼンチン、ブラジルで2ヵ月間。その時に出会った人々の話しを今回はしてみようと思います。長期旅行者は、まず、強盗や盗みに遭ったり、または日本人とみると高く値段をふっかけられ、現地の人々を信じられずいる日本人に数多く出会いましたが、私はというと、強盗にも会いましたけど、それ以上に親切な人々に出会うことができました。
まずは強盗の話し ペルー国内にはアレキパという中世の教会と高地でどこまでも青い空が美しい、もう少し南へ行くとチリの国境になるペルー第二の都市があります。私は、フォルクローレを聞かせるライブハウス「ペーニャ」の帰り道、ホテルの前で強盗に会いました。庭が美しいホテルで、夜は門が閉められているので、インターフォンで帰ってきたことを告げなければ門は開きません。そのインターフォンを押したとたんに後ろから首を絞められ羽交い締めされるとともに、ほかの二人か三人がポケットをまさぐるって感じでした。幸いお金は日本円で三百円も持っていなく、そのお金と手紙を書くために持っていたアドレス帳を盗られてしまっただけでした。抵抗したため、殴られて倒されたことは覚えてます。自分も夜ペーニャで酒を飲んで一人暗い街の中を歩いて帰ってくるのは、三日目で街をなめていたのは確か。ペーニャでは日本で音楽活動していたフリオと話しが弾み、しこたま酔ってふらふら歩いてました。でも、ホテルフロント当直の兄ちゃんや支配人がさも心配そうに対応していたので、特に人間不信にはなりませんでした。その翌日もフリオと約束していたので、ペーニャに結局行きましたが、その日は早めに引き上げ、酒もそんな飲まずに、10秒に一度は後ろを振り返りながら、怪しげな人間がいないことを確認しながら帰りました。 フリオは救世主 何故か、私はフリオという名前の人に助けられることが多いのです。長距離バスに乗っていて、怪しげな物売りが強引に飴かなんかを手渡した時も、隣に座っていたフリオという人が、「あいつはヤク中、逆わらずに受け取り、後で静かになったら返せばいいと、見本を見せてくれたのもフリオだったし、ナスカの町で、バスの手配をしてバスが来るまで(深夜12時)前まで、安ホテルのロビーのテレビを見ていればいいと、そのホテルの人と交渉してくれたのもフリオ。また、リマのバスターミナルでガードマンをしているフリオは、日本に働きにきたこともあり、深夜にワラスに行く時は、どのバスに乗ればいいのか教えてくれて、帰りは、朝四時頃リマに着いて、どうやって帰ろうか思案していたところ、友人のタクシーを呼んでくれました。その車中で財布を落とすというドジを踏んでしまったのですが、無事に戻ってきました。また、このフリオは日本に帰る最後の日、当直の帰りにペンションに来てくれ、空港へ送ってくれました。 そのほか、恩を受けたのは、パラグアイの日系人の人たち。パラグアイから安くイグアスの滝を見に行きたかったので、「地球の歩き方」に書いてあった旅行代理店に行きました。窓口の女の子(パラグアイ人)も親切にしてくれ、ツアーを申し込もうとしていたのですが、ブラジルのビザがいるということで、8,000円近い金をビザ払い、ビザ発給を待っているのも嫌だったので何とかならないかと話していたところ、二階の怪しげな部屋に通され、日系人を紹介されました。その人に手配してもらいパラグアイの国籍を通った日本人と一緒に日系人を装い、国境を越えてイグアスの滝を見に行くことができました。ホテルからバスターミナルまで自家用車で送ってもらいましたが、後で、イグアスをガイドしてくれた日本人は、「あの人は金持ちの日本人ツアーしか相手にしない。、まさか、バスターミナルまで送ってくれたなんて信じられない」と言ってました。 また、その彼から紹介された日本人が経営しているアルゼンチンとの国境の町エルカルナシオンの民宿では、そこの三世の兄弟にアルゼンチンへ国境超えし、ステーキをおごってもらったり、映画「ミッション」の舞台になった教会遺跡に連れてってもらったり、本当にお世話になりました。また、ペルーのアマゾン川河岸の町マヌーでは、日本に働きにいってその金で昼から飲んだくれている日系人の五十代の人にビールを奢ってもらいました。 パラグアイの兄弟たちも日本で板前の修業をしていましたが、日本では、欧米以外の国の人たちに対して冷ややかに接して場合が多いのに、今訪ねてきている私とは別という考えで、皆優しく接してくれました。 旅行者 日本人旅行者より、外国人旅行者に言葉の関係で助けられました。アマゾンツアーで同じ部屋に泊まることになったアルゼンチンの青年には、あまりに言葉がたよりないので、クスコの空港から町の中心までタクシーに私を乗せて送ってくれました。また、ペルー人の医学生二人組は、私がひとりふらふらしているので、一緒にビールを飲もうとか、いろいろと声をかけてくれましたし、その親切がうれしかった。 海外旅行というと、睡眠薬強盗など現地の人々に優しくされると、どうしても身構えてしまいます。私も、最後まで心を開かず、最後まで何も求めない人と別れる度に、もっと相手を信じれば良かったと後悔してしまいます。でも、今回の旅行ほど、言葉が通じないからこそ、現地に住んでいる人、また、ほかの外国人旅行者に助けられたのだと思います。今度は、もっと、スペイン語が話せるようになって、もっと交流を深めたいと思ってます。 |
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